現在の呉軍港と呉市の現状
「大和ミュージアム」 課題・見学記
1、「大和ミュージアム」の課題
2.「大和ミュージアム」見学記T
U.企画展「原爆と呉」展
Z、戸高一成館長は、
「館長としての資格」を問われている
Y、戸高一成館長の改憲推進論には問題がある
X、大和ミュージアム開館 1周年を経て判ったこと
開館1周年記念
《 新聞報道から 》
朝日新聞 2006/4/23 日曜日
中国新聞 2006/4/25 火曜日
中国新聞 2006/4/26
中国新聞 2006/4/27
1、今、明かす<ミュージアムの設立過程>
設立の推進者<小笠原.前呉市長に聞く>朝日新聞
<史料収集が進むうち、構想は県立から市立へと替わりました。>
「市側は、竹下虎之助知事のころから県立施設を要望していた。だが、
『展示史料のめどがつかないとだめだ』と知事にいわれ、3年かけて史料収集した。
その後、県から『やはり軍事色を出すと難しい』といわれた。
戦後、世界一のタンカーを建造した背景には戦艦大和の造船技術がある。
それを抜きに抜術伝承は語れない。県に任せず、市立構想で、となった」
<基本構想から15年をかけての開館。苦労した点は。>
「市の負担をどうやって軽減するか。国に補助を働きかけていたとき、周囲から
『(近現代史の歴史展示は)国家的な事業のようなものだから、全国に資金協力を呼びかけたほうがいい』となった。
中曽根康弘さんが海軍主計中尉で呉鎮守府にいた縁もあって発起人代表をお願いした。
地元も含め全国から約6億円の募金が寄せられた」
「呉市が軍港として発展してきたのは事実。戦争のために国民に大きな犠牲があった。
平和の大切さを知ってもらう施設にと、展示史料や説明にもずいぶん気を配った」
<来春、隣接地に海上自衛隊の史料館が完成し、潜水艦の実物展示も計画されています。
防衛色が濃くなりませんか。>
「潜水艦の屋外展示はもともと、大和ミューージアムの基本構想に入っていた。
海上自衛隊も協力的だったが、財源的に市では難しくなった。
防衛庁長官もやった池田行彦さんらの力を借り、国でやってほしいと働きかけてきた」
「国の施設だから、国民に防衛の理解を深めようという役割が出てくるのは当然。
広島の平和記念資料館や江田島の旧海軍兵学校などを見学し、いろいろな角度から
明治以降の歴史や戦争・平和を考えるきっかけになればいいと思う」
2、驚異的な入館者数
<クリック>
来館者数の推移 昨年4月23日の開館から12日目の5月4日に、10万人を達成。85日目の7月16日に当初目標の40万人をクリアし、
197日目の11月5日には1OO万人の大台に。323日目の3月11日に150万人を突破。
開館1年を前にした今月21日、170万人に達した。24日現在172万155人。(中国新聞)
<開館1年 大和ミュージアムに170万人 ブームか? 戦前回帰か?>朝日新聞
<< 旧海軍の拠点だった呉の歴史と造船技術を紹介する大和ミュージアム
(呉市海事歴史科学館)が、23日で開館1周年を迎える。
入館者数は予想を大幅に超え、連日盛況だ。
戦艦「大和」を舞台にした映画上映も追い風になったが、地元関係者でさえ
「なぜこれほど人が押し寄せるのか」と首をかしげる。
一時的なブームか、それとも戦前回帰の流れか。
当初予想は年間20万人で、開館直前に40万人に上方修正された。
入館指数は4月22日で170万6412人となり、県内の有料観光施設では厳島神社を抜いて年間最多になる見通し。>>
小笠原・前呉市長は
「(日露戦争の)日本海海戦100周年や戦後60周年で、戦艦大和が話題になった。
ミュージアムの愛称を募集すると、全国から5400余件の申し込みがあった。
鹿児島県知覧町にある知覧特攻平和会館の入館者は年間60〜70万人だが、
まさかそこまではいかないだろうと思っていた」
<ブームの背景には何がありますか。>
悲劇的運命心情集まったかも
「戦艦大和」は現代の平家物語だ、という人もいる。その悲劇的な運命に心情が集まったのかもしれない。
さらに、明治以降の日本の歴史を客観的に見ようという空気もだんだん出てきた。
10、20年前なら、自衛隊は憲法違反だとか、展示で戦争をとりあげるのはけしからんという雰囲気があった。
社会党委員長だった村山富市さんが首相になって自衛隊を容認し、阪神大震災で自衛隊の役割が見直された。
戦後50年から毎年、地元で開かれた戦艦大和のシンポジウムを通して市民の理解も深まった」
<戦後六十年の節目や話題性があいまって、予想を大きく上回った。
なぜこんなに来館者の心をとらえたのか。>中国新聞
うれしい誤算 世代超え来館者170万人
「まさか来館者が百万人を超すとは、夢にも思わなかった」。
同ミュージアムの伊牟田真治主幹(49)は振り返る。開館前は「閑古鳥が鳴くのでは」とささやかれ、当初目標は年間四十万人と設定したほど。
うれしい誤算が続き、結果的には全国各地から四倍以上の人が訪れた。
日曜日と祝日は一万人以上になり、平日でも三千−五千人前後で推移した。
昨年十二月に全国封切りした東映映画『「男たちの大和/YAMATO」の好調ぶりも反映。冬場にも来館の勢いは落ちなかった。
呉市内からは1割
ミュージアムによると、来館者は北海道から沖縄までの広島県外からが六割。
特に関西や関東からの観光客が目立つ。残りが県内からだが、呉市内からはI割にとどまっている。
性別で見ると、六割が男性で、女性が四割。
三十−五十歳代が半数を占め、次いで二十歳代以下が25%、60歳代以上が22%で、
家族連れや若いカップルの姿も目立つ。
伊牟田主幹は「大半が年配者と思っていたが、こんなに若い人が来館するとは」と驚く。
東京都大田区、警備員須藤康太さん(21)は「映画を見て、大和や乗組員の壮絶な最期に心揺さぶられた。大和の模型と乗組員の遺書をどうしても見たかった」。
大阪市阿倍野区、会社員佐々木紀子さん(40)は「アニメの宇宙戦艦ヤマトを見て育ち、大和には一種の親近感やあこがれを覚える」と打ち明ける。
兄が大和の乗組員で、来館三回目の農業塩見正臣さん(70)=岡山市曽根=は「ミュージアムは兄の墓のような存在。犠牲者の名簿を手でさすりながら、冥福を祈るんです」と涙ながらに話した。
「10年前は不可能」 戸高一成館長
「十年前では開館自体、不可能だったと思う。兵器を並べているとの批判が強かったはず」。戸高一成館長(57)は思いを巡らす。
「戦後六十年たって、やっと戦争を冷静に見られるようになった証し」と強調し、
「日本人は判官びいきの精神性が強い。
世界一の能力を秘めながら悲劇の運命をたどった点が、人々の心情に訴えるのでは」と推測する。
大和人気は「戦争を知らない世代に日本人としての意識が芽生え、過去の戦争から学ぼうという探求心が生まれたから」と、指摘するのは高橋衛広島大名誉教授(76)。
「歴史を振り返る中で、誇りや自信を取り戻せる象徴的な存在が大和なのだろう」と分析している。
3、大和ミュージアムに対する評価・賛否・感想
技術の利用 人しだい 中川正美(朝日新聞)
〈ひと言〉 科学技術をどう展示するか。
たとえば20世紀で最も重要な科学技術の一つは原水爆だ。
広島の平和記念資料館に行けば、技術の負の面に愕然とさせられる。
一方で原子力エネルギーは産業に貢献するとの見方もある。
技術は軍用民用の両面がある。どう使うかは人しだいだが、
歴史は人間が技術に振り回されてきた事実を雄弁に語っている。
戦艦大和は悲劇的な英雄ではなく、
人間の傲慢さ、愚かさ、悲しさを詰め込んだタイムカプセルにみえる。
賛否両論 展示の判断冷静な目で 中国新聞(吉村明)
「大和の技術力の高さ、偉大さに感動した」 「模型の大きさに驚いた」ー呉市の大和ミュージアムに置かれたアンケート箱には、来館者から戦艦「大和」や展示内容などに対する声が多数寄せられる。
その中には、「軍事博物館だ」「戦争の被害に目を向けず、賛美しているのでは」
「北朝鮮や中国との関係を考えると、複雑な気持ちになる」など批判的な意見もある。
館内には大和の十分一模型(全長二十六b、高さ六b、重さ二十九d)をメーンに、
零式艦上戦闘機(ゼロ戦)や人間魚雷「回天」、大和の主砲弾なども実物展示してある。
さらに、建造から沈没までの大和の歩みや技術などを詳細に解説しているほか、乗組員の遺影や遺書、手紙、戦死者名簿などを並べ、生還者の証言もビデオで流している。
東京都東久留米市、会社員浅沼和弘さん(32)は「戦争を取り上げた博物館は珍しい。事実は事実として隠さず、知らしめている点に共感した」と熱心に見入っていた。
「技術には罪なし」 戸高一成館長(57)は
「技術自体には、何の罪もない。技術を使う人間の側に責任があり、使い方次第で戦争という悲劇を招くことを知ってもらいたい」と強調。
「正しい資料を提供することに力点を置き、判断は見た人自身に委ねている。
コンセプトを押しつける展示にはしていない」と理解を求める。
これに対し、会社役員佐藤尚義さん(68)=長崎市横尾=は
「確かに技術のすごさは感じるが、軍艦や兵器は人殺しの道具にほかならない。
見る側が冷静な視点で展示品を見る必要がある」と指摘する。
「正直、見学して腹立たしく思った」と打ち明けるのは、
旧海軍の特攻隊員だった岩井忠熊立命館大名誉教授(83)。
「大和の特攻が、いかに無謀で愚かだったかの視点が欠けている。
大和の建造を誇りに思わせる意図を感じる」と嘆き、
「あからさまな戦争賛美ではないが、大和を肯定している点や
国民がブームに乗せられている風潮に恐ろしさを感じる」と警鐘を鴫らす。
模型に注目集まる
二〇〇七年四月には、ミュージアムはす向かいに退役した実物の潜水艦を屋外展示する海上自衛隊呉史料館(仮称)がオープンする。軍事色が一層強まるとの懸念の声もある。
大和の元乗組員で、生還者の八杉康夫さん(78)=福山市野上町=は
「模型の大きさばかりが注目されている。
博物館が観光施設化し、戦争や大和の悲惨さがどこまで発信できているのか」と疑問を呈し、
「ブームは一過性のもので、いずれ風化する。大和の運命を考えながら、平和の尊さ、ありがたさを学ぶミュージアムであってほしい」と願っている。
4、ミュージアムの施設・展示方法に対する評価・感想・要望
優しさ不足 解説・休憩所改善の余地 中国新聞(吉村明)
お年寄リから不満
大和ミュージアム(呉市)の館内をあらためて歩いてみた。足早に見学すれば一時間程度。じっくり見て回ると、優に二時間を超す。
館内全体を見学するには、距離にして約七百b。屋外展示を含めると一`近く歩く計算になる。
兵市県姫路市から訪れた主婦山田君子さん(76)は「休憩場所が少ない。年寄りには立ちっ放しはこたえる」と疲れの色を隠せない。
いすは一階から三階までのロビーと十分の一模型周辺、実物展示場の五力所に計九十二席設けている。
しかし、来館者の二割以上が六十歳以上で、休憩場所の少なさを実感する。
ミューージアム側が一年間実施したアンケートでは、「解説文の文字が小さくて、読みづらい」
「車いすに乗ったままだと、見えにくい」などの数多くの不満や苦情が寄せられた。
「外国人への対応がいまひとつ。戦争の歴史を知る日本では珍しい博物館なので、グローバルな展示方法も考慮してほしい」
と、要望するのはオーストラリアから訪れた主婦ロバーツ庸子さん(29)。
展示パネルや解説文は千点以上。展示コーナー十五ヵ所の説明は英文で訳しているが、約二千点の資料はタイトルだけが英文表記で、説明は日本語だけ。
これに対し、原爆資料館(広島市中区)では資料のタイトル、説明とも全文を英訳して展示している。
展示解説文は「船渠」「大尉」など専門用語や軍事用語の漢字が並び、振り仮名も少ない。
昨年度、県外から修学旅行生が四十三校、約三千人が来館したが、大社小(出雲市)の矢野智子教諭(49)は
「小学生に難しい漢字が多すぎる。戦艦大和の十分の一模型だけ見て、展示は素通りし、技術体験コーナーに行ってしまう」と指摘し、配慮を求める。
喫茶・軽食を望む声
ミュージアムは害虫の発生で資料が損傷するのを懸念し、飲食コーナーを設けていない。
しかし、「館内に一息入れる喫茶店や軽食レストランがほしい」と開設を望む人は多い。
大和関連グッズを販売するミュージアムショップは面積が約五十平方bで、日曜祝日に客でごった返す。
(ミュージアムショップ)
菓子類やプラモデル、Tシャツなど大和関連グッズ約600種を取りそろえる。
人気商品は50O円前後のせんべいや手ぬぐい。
日曜、祝日には1日1OOO人以上が買い求める。
売り上げは3月末までで、4億4000万円を超えた。
来館者から「もう少し広くしてほしい」との声は絶えない。
これに対し、ミュージアム側は寄せられた不満や苦情に対応し、順路の案内表示を拡大。 閉館時刻も延長した。市民八十六人がボランティアガイドとして登録。
十−十五人が毎日、来館者の支援をするほか、学芸員も修学旅行生を中心に解説して回るなど、優しさやもてなし度アップに力を入れている。
伊牟田真治主幹(49)は「目配り、気配り、心配りで来館者に心地よく過ごしてもらい、リピーターも増やす努力を続けたい」と、気を引き締めている。
《大和ミュージアムは、現在、どんな施設なのか。》
(呉戦災を記録する会 評注)
大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)の設立理由・展示内容を把握する上で欠かせないのは、
「法的、行政的にどんな性格を持った施設であるか」を見ることが大切である。
大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)は、一見、展示内容やイベントが教育文化に属する施設なので、教育委員会の所管のように錯覚をするが、実は、商工観光部の管轄下にある。
本来、博物館的なものは教育委員会の所管なのだが、文化行政と観光行政を一体で進めたい、などの理由で、この施設を教育委員会に所属させず、商工観光部の管轄下に置いたと考えられる。
つまり、博物館法で登録された「登録博物館」や「博物館相当施設」ではなく、「博物館類似施設」か「観光施設」であるが、正式には県に届けられていない。
呉市海事歴史科学館の名が示すとおり、単なる「館」であって「博物館」ではなく、略称として勝手に「ミュージアム」の名をつけた海事、歴史、科学に関連のある博物館類似施設らしいが、現在は、単なる観光用展示施設? と思われる。
その意図通り、170万人以上の人が入館する最大の理由は、「十分の一模型の戦艦大和」=『見世物』への「観光」で、「戦争と平和」「技術と生活」などへの思想的文化的な関心は奥まってみえ、『平和と技術』を熱心に見学させるようにはなっていない。
1周年記念の企画展「10分の1 戦艦「大和」に魅せられた男たち」の標題がよくこの本質を物語っている。
1周年記念企画展ポスター
企画展ポスター裏面
展示風景1
記念イベントポスター
発明イベントポスター
展示風景2
《大和ミュージアムの将来展望》
私(朝倉)が大和ミュージアムで、良い「ミュージアム」だと思っているのは、若者や子供を対象にした3階の
「展示室 C 船をつくる技術」、「展示室 D 未来へ実験工作室」である。
修学旅行などに来たり、入館した子供のほとんどは、「十分の一模型の戦艦大和」と、
この展示・イベント会場に強い関心を示している。まさに「科学館」の面目躍如といったところである。
望むべくも無いかもしれないが、「戦争被害や戦争の悲惨さ」を「戦艦大和」と関連付けながら、
「戦争の起こる原因と戦争の防止努力」を展示できるようになると、不評の歴史展示が是正され、
当館の主要目標である「技術」と「平和」が正当に展示でき、まさに「海事歴史科学館」の名に恥じない
素晴らしい「博物館」(類似施設)になれると思われる。 (2006/5/10.記)
W、大和ミュージアム シンポジウム
『戦後60年「戦艦大和」を語る』
2005(平成17)年10月10日、呉市文化ホールにて
発言内容の概略メモ (評注は、聞いた感想、寸評)
案内チラシ
1、小笠原呉市長の挨拶
待望の大和ミュージアムが平成17(2005)年4月23日にオープンした。
基本構想の策定は、平成2(1989)年からで、足掛け15年経過した。
戦後60年を記念し、歴史の記憶が薄れつつある。
呉市は日本の現近代史と共に歩んできた。
歴史を後世に語り継ぐ中で磨かれた呉海軍工廠の技術を伝えていく。
また、戦争を経ているので平和の大切さを認識していただくために建設した。
全国的な関心を集め、入館者も当初予想の40万人が、3ヶ月で達成し、現在は87万人に達している。
半数近くは県外から来ている。アンケートでは、展示内容に高い評価を得ている。
経済的効果もあるが、それ以上に嬉しい事は、全国に呉市の名前や特性を認識してくれていることだ。
今後、観光客の誘致、企業誘致、定住促進などに大きなプラス効果を持ってくる。
(評注:呉市長選挙直前の政治状況の中でシンポジウムは開催された。)
2、シンポジウムの概略 (コーデイネーター 戸高一成館長)
A.「戦艦大和との関わり」について
阿川弘之氏
…大和の秘密保持が厳しかった。
大和の艦長になる山本五十六でも、建造中の大和の見学ができなかった。
呉線は列車に鎧戸を下ろさせ、呉軍港や造船ドックの戦艦大和を見せないようにした。
松本零士氏
…戦争で帰ってこなっかた働き手のいた家の凄惨な状況を知っている。
だから宇宙戦艦ヤマトのアニメを依頼されたとき、3千人の人が海の底に眠っている重みで辛い立場にあった。
テーマがあまりにも重過ぎ、人の命を軽々しく扱っていいのか、遺族関係者も見ているのだから悩んだ。生涯考え続けるテーマである。
これは大和の死者のことだけではない、大和に立ち向かわされた側、そのときの時代背景全部を含めて考えている。
ヤマトのアニメは、生きて帰る地球の船として描いた。
「地球は宇宙のまほろば」と言うテーマで、旅をする船に置き換えて書き換えた。
大和は、デザイン的にはすばらしい戦艦で、アメリカでも「戦艦は大和を持って終わった」と。
歴史的にはすばらしい戦艦だとは思っているが、戦死者や他の護衛艦の人たちのことを思うと、
また、あの戦争全体で失われた人たちのことを思うと、言い知れぬ思いが重圧感として残っている。
(評注:宇宙戦艦ヤマトは人間愛を基に戦争を憎み、悲惨さや被害、愚かさを描いたものだ。そのモデルの大和ミュージアムに、もっと戦争の悲惨さや愚かさを展示に生かして、との思いを述べたのだ。)
的川泰宣氏
…子供時代より話によく出ていたので、ヤマトという言葉は神様みたいな響きがある。
ロケットは太平洋戦争中に急速な進歩をした。日本はドイツに次いで進歩していたが、
終戦時に資料を全て焼却した。
戦後、ペンシルロケットを始める時、大和の火薬を設計していた村上さんがペンシルの燃料を作ってくれた。
ヤマトとロケットが不思議なところで結びついていた。
(評注:ヤマトとロケットは巨額の浪費と無用の長物、国威の発揚と軍事技術の最高技術という面で共通性を持つ。さすが軍事都市呉とは不思議な縁があるナー!)
半藤一利氏
…戦後、GHQが「太平洋戦争史」をだし、その最後の所に「とんでもない船が出来、沖縄戦で海の藻屑になった」と言う記事を見て戦艦大和のことを知った。
昭和30年11月号の文芸春秋に大和の主任設計者福田氏に聞いた大和の話を「戦艦大和未だ沈まず」として掲載した。
士官以上の部屋に冷房があったとか、一度甲板に出ないと右舷から左舷に行けない、とか、機関室と火薬庫の間の隔壁を400mmの鉄板で強化したので、20本の魚雷が命中しても火薬庫は爆発しなかった、などを聞いた。
山本五十六は、設計課に来て「これからは空が大事、大艦巨砲は要らなくなると思う」
と言っていた。
設計者は「絶対沈まない船を造って見せます。」と言っていた。山本は大和の艦長室で、「よい船を造ってくれた、この船さえあれば戦に勝ってやるぞ」と褒めていた。
(評注:大和を批判した山本の歴史的限界を知り、軍国主義社会の愚かさを嗤う。)
坂上 順氏
…呉の皆さんの前で大和を語る資格はない。皆さんは大和となると熱く長く語られるので。
なぜ、「男たちの大和」を作ろうとしたか。
前に、知覧から出撃した特攻隊の「ホタル」を作った。その反響で大和の生存者の遺族の方が、父の遺灰を散骨に行った。
それらの体験から、8・6のヒロシマ原爆の慰霊祭があっても、ヤマトに関して、なぜ慰霊祭がないのかと思った。
大和が沈まず作戦通りに沖縄に乗り上げていたらどうなっていたのかと思うことがある。
ヒロシマは非戦闘員の市民が犠牲者だが、ヤマトは武器であり戦闘員だからか、と思った。
最近は大和について語り易くなったが、劇中で「死に損ないといわれても良い。生きて生きて生き抜いてやる、死んでいった者も、そうでないとその者たちも心も無かった事になってしまう」とした。
死んでいった人たちや家族の思いをどう語るか、それを作品にした。
(大和の乗組員も戦争犠牲者だ。被曝者だけが犠牲者ではない。
大和ミュウジアムも技術だけでなく、人間の苦悶をもっと展示すべきだと言っている。)
小笠原臣也氏
…吉田満氏の「戦艦大和の最後」を読み大変感動した。
海事歴史科学館を創るに際し、呉市では海軍の造船技術を伝える博物館を創るのがふさわしいと思った。
しかも、ただ技術だけを紹介するのでなく、
「なぜ呉に海軍が設けられ、海軍工廠が作られ、国産の艦艇が作られ、その頂点として最高の戦艦大和が造られたか」
日本の歴史的な、国策的な背景の流れの中で、海軍工廠や呉市が発展し、その頂点に大和が生まれたことを紹介しようと思った。
しかし、大和は最後に悲劇で終わった。大和は明治以降の富国強兵策の全体の流れの中で、最高の技術レベルを示すが、日本の軍部が方向を誤り、兵器の用い方も誤って、最後は国際的な孤児になって敗戦を迎えた。
大和はこれら全てを象徴する意義を持っている。これが多くの人が大和を見て感慨にふける所以ではないかと思っている。
(評注:この「大和」論は、従前からの戸高館長の所論にそっくりだ。意気投合したか、どちらが真似たかな?)
戸高一成氏
…多くの人から話を聞くうちに大和は世界一だとの意識を持ってきた。
大和が日本人の心に沁み込んでいる「大和」の魅力について語ってください。
B.「戦艦大和の魅力」について
阿川弘之氏
…当時の日本人の能力の最高レベルまでだした結晶が大和だった。ただ、実際は役に立たなかった。初めからそれを指摘したのが山本五十六だったのは象徴的な意味を持っていた。
日本海軍はイギリス海軍を手本にしてきた。それで言論の自由を割合大切にする傾向があった。
大平大佐は大和・武蔵はやがて日本を滅ぼすと言っていた。「貧乏海軍が大和武蔵を持つことは、まるで貧乏人の娘がとんでもない晴れ着を二着持っているのと同じだ、それに振り回されて身を滅ぼす」と。
立派な船に立派な士官兵士が乗り込んでも、石油の生産量のない日本では終いには動くことすら出来なくなって、何の働きもしなかった。
この矛盾を考えて欲しい。あれほど秘密にして大切にしていた大和が無用の長物だったという教訓は大切にしないといけない。
(評注:大和(の思想)は日本を滅ぼした、幅広い視野を持たない軍国主義が、無用の長物=大和を造った歴史を展示せよ、それが未来につながると訴えている。)
松本零士氏
…終戦のとき、愛媛で観た大人の状況。祖母が日本刀を持ってきて、敵兵が来たら差し違える、武士の子なら覚悟をせよ、と言っていた。
小倉で、外国軍の戦車に走り回られ、こびへつらう大人を見て敗戦の無残さを見た。写真を撮られるのも、物を貰うのもいやだった。悔しかった。
そのとき、大和や八幡製鉄所があるのが誇りだった。プライドを守る根源になった。そこに大和があった意義がある。
あれだけのものを作った日本だから、また何とかなると、日本人のプライドの根源になり、プライドを守ったシンボル的意義があった。
大和の存在は、自分の精神的な成長のバックボーンになっていた。プライドは大切であった。そのプライドを守ったのが大和であった。
戦後、映画「戦艦大和」を観て、その実態を知った。泣いて印象に残っているのは、大和が沈み、屍が海中に浮かんでいる、その子供が家でハイハイしてはしゃいでいる、それを観るのが子供心にもつらかった。
大和・戦死・遺族子供と言うのが脳裏から離れない。それと共に工業技術的・科学的な意味でプライドを支えてくれた偉大な船だと思っている。
(評注:大和しか誇りの源泉がない軍国主義教育を受けたが、人間愛から戦争に反対し、戦争の愚かさ、悲劇を訴える作家になった。)
的川泰宣氏
…大和の魅力は名前がよい。国際宇宙ステーションの日本の実験室の命名を募集したら、大和がダントツだった。が、ヤマトと名前をつけるとアイヌの人に悪いと言って、キボウと名づけた。
大和ミュージアムの入館者は日本一で、半年で100万近くある。それほど大和は魅力がある。魅力の背景を考えて見る。
大和はあまり活躍が出来なかったが、今とでは経済力がまったく違う。世界第2位の経済力を利用して、大和のような大きな力を持ったプロジェクトを創るべきだ。
国全体をもっと統合して、世界に貢献できる大きなベクトルを創る必要がある。
大和の魅力は、あの時代、あれだけの大きなものを造る人がいたことも偉大だし、日本の物づくりの総力を結集して作り上げたことを今の日本は学ぶべきだ。
大和ミュージアムが一時のブームで終わらないためには、私たちが日本の未来を考え、国を大きなプロジェクトで動かしていく決意が必要である。
(評注:大和の教訓から、宇宙船などの巨大プロジェクトで国威を発揚するファシズム思想に憧れる海軍技術将校ばりの思いを引き出した。)
半藤一利氏
…戦後、連合艦隊司令官の草加龍之介氏に会ったことがある。大和特攻を伝えに行った時、大和の司令官の伊藤整一中将が反対したが、全軍特攻の先駆けとして行けというと、了承して、作戦が失敗したときは私の判断に任せてもらう、との承認を得た。
米軍の攻撃で沈没するとき、伊藤司令官は「作戦を中止」した。その命令で、残っていた駆逐艦4隻が沖縄行きをやめ、大和の生存者を救出し、日本へ帰ってきた。
もし命令がなく、作戦が続行されていたら、残っていた4隻の駆逐艦も沈んでいた筈だ。
大和特攻隊は大和の乗組員だけではなく、その他の艦船も全部特攻であり、その人数は、飛行機の特攻隊より多いが、作戦中止で特攻でなくなり、特攻隊と認められず2階級特進をしなかった。
どんな無理な作戦命令も、人間的な判断が正しければ、悲劇はなくてすむということが有り得る。船はどんなに立派でも沈む、技術が優れていても虚しくなる事が有る。
人間が英知を働かせ、考えることが大切だ。大和を考えるときには何時も思う。人間はもっと利口にならなければならない。
つまり、人間は戦争をしてはいけないと言うことだ。
(評注:戦艦大和を展示するなら、無謀な戦争で失う犠牲や悲劇、無知を中心に展示せよと提起している。)
坂上 順氏
…「男たちの大和」の役者は、歴史を背負った人物になりきり、誇りを持って演技をした。
映画を作るとき、死者や子供たちはどう観ているだろうかと思いながら作っている。
今の日本人は日本の心を失っているようだ。
小笠原臣也氏
…大和の魅力は人により異なる。10年前、戦後50年を期に「大和を語る会」が企画して「大和を思う」というシンポジュウムを開いた。
以後、毎年シンポジュウムは続けられ、歴史や技術面、証言、海底探査の状況などいろんな角度から大和が語られてきた。
9回してもまだまだ語りつくされていない。それほど大和は深いものを持っている。
戸高一成氏
…大和はすばらしいものを持っている。しかし、及ばなかった面、力の足りなかった面、もっと使い方を考えねばならなかった面などもある。
戦後に残されたもの、引き継いで開発されたものなどについて話してください。
C.「戦艦大和を引き継ぐもの」について
的川泰宣氏
…当時の技術が総動員された。戦後日本の物造りは衰えなかった。
大和の一番大きなことは、ビッグプロジェクト(システム)で大和を作ったことだ。
それは宇宙事業に引き継いでいる。
ロケットも100万個以上の部品から出来ている。それを小さなコンポーネントに分け、総合してシステムを作っていく。
50年前、ペンシルロケットから始まり、大和と同じく、他国の力は一切使わないで、今、ミュー5型ロケットを作っている。世界最大の固体燃料だ。
大きなプロジェクトとしての類似性がある。大和を造った呉の街は、町工場が多くあり、H2ロケットの液体燃料の各部品を呉で作っている。
大和の技術はシステムでも個別技術でも引き継がれている。
(評注:大和を賛美し、国産にこだわるロケットは、兵器の影があるからだ。海軍技術将校の面影を見た。ピラミッドは大和より凄いビッグプロジェクトだった。)
戸高一成氏
…それぞれの人が、技術と歴史と人間的な係わり合いを違う観点でみている。そこに大和の魅力がある。
D.「大和ミュージアムの今後に期待するもの」は何か
阿川弘之氏
…予想外の日本人が、強い関心を持って観に来るのは、日本人が60年間、自信を失っていたが、大和ミュージアムをみて、自信を取り戻すことが出来たからだ。
その点をもっと生かせたら大和ミュージアムは大きくなるのでは。
松本零士氏
…大和の技術でプライドを持てコンプレッスに陥らずにすんだ。
これから大和ミュージアムの運営は、大和を取り囲む時代背景や文物をを共に展示すべきだ。世界中のその時代の文物を展示すると比較対象になる。
物を書くとき、一つの資料に頼ると過ちを犯す。その周辺のあらゆる資料を集め、総合的に資料を見るうちに真実が分かってくる。
例えば、大和を攻撃した戦闘機の照準器やアメリカの資料を展示するなど。古賀中将の手紙には、航空兵力の拡充が大事だとか、その当時から書いている。そのようないろいろな日米双方、外国の資料も展示をしたらよいのでは。
それにより、日本の技術の位置や考え方、世界での水準が分かるのではないかと思う。
大和は自分のプライドを支えてくれた大事な船であったと言うことと共に、多くの亡骸が今も海底に眠っている事はとても辛いことです。だから、これを扱うことは、どういう意味になるのか悩みながら取り組んでいる。
だから「技術」と「人の命」というものを大事にして展示を充実したらよい。
(評注:大和のみを見て、米英の科学技術や思想の優秀さも見ない展示では、再び過ちを犯し、戦争への道を歩むと危惧している。)
的川泰宣氏
…大和が持っていた過去の魅力を、日本の未来を築く力に生かすように転換するには、如何したら良いか。
大和の存在が大きな問題なので、「大和ミュージアム」を創ってきた人たちの苦労、プロセスを皆の前に出していくべきだ。物の展示だけでは人の心を打たない。
子供たちのためにも海事歴史科学館だから、歴史を学び科学的な見方をしていくのが大切だ。
入館者統計で呉の人が少ない。地元の人が拠点として活用できるようにせねばならない。年寄りだけでなく、家族連れが世代を継いで来れるようにしなければならない。
半藤一利氏
…「仏作って魂入れず」の言葉があるが、建物は出来たが、どういう魂が入るのか、悪い魂が入らないように願いたい。
(評注:悪い魂とは=国粋主義的軍事技術・大和第一主義、軍国主義的展示が中心で、戦争の被害や悲惨さ・愚かさを展示しない事を憂えている。)
坂上 順氏
…映画に出演した人は、7ヶ月くらい「大和」と生活を共にした。中高生と記者会見したが、「大戦で多くのものを失ったが、日本は何を失ったか考えると、礼儀だと思う」と言った。
これから技術が日本にとって重要だが、そういう日本人が居たという事も伝えていって欲しい。
小笠原臣也氏
…「大和ミュージアム」に全国の人に来て欲しいが、特に修学旅行で拠点にして、原爆記念館を回ると共に、考えて欲しい。
戸高一成氏
…「大和ミュージアム」は、単に過去の技術的遺産を見せるだけではなく、人間・技術・歴史を通して、未来を見せる施設・館にしたい。
以上
(メモのミスや勝手な評注コメントの失礼をお許しあれ。)
V、講義「戦争と技術、戦艦大和の最後」要旨
2005年9月12日、大和ミュージアムにて
(平成17年度 広島大学公開講座 「広島から世界の平和について考える」第T回)
戸高一成 呉市海事歴史科学館 館長
維新後の日本が、西欧から最も積極的に導入したものは産業技術、中でも軍事に関わる技術であった。日清、日露の戦役を最新兵器の導入で、辛うじて勝利した日本は、兵器と言うハードウエアーに偏った一種の技術信仰に陥っていった。
国防戦略の部分として存在すべき軍備が、本来の目的である国家の要望とずれて行った経緯を、戦艦大和に見ることができる。(以上は案内文より)
(以下は講演要旨)
西洋科学の受容の経過と結果が、戦艦大和に象徴されている。
この戦艦大和を展示(研究)することで、日本の近代(技術)史を解明できる。これが当館の存在理由である。
(因みに、「技術と平和」が展示のテーマである。桑原功一学芸員の案内説明)
幕末明治の文明開化の仕方に問題があった。「和魂洋才」の間違いを指摘したい。
幕末、身分制の下でも職人への評価は高く、西欧技術の摂取が早かった。
他国は製品をカタログ化し、購入するのみだが、日本は技術を摂取する職人が居たので、工場を作ったとき、技術を持って働く職人が居た。
だから20年後には、いきなり東洋一の呉工廠を造り、1930年代には戦艦・大砲・潜水艦、ゼロ戦などが製造できる西欧と同一水準の、最高度の技術水準に達した。
図面は何処でも描けるが、造る人が居るかどうかが問題。ワシントン条約時代に戦艦の改造や修理を続けて仕事作りをし、養成工を育成した。
海軍軍縮以降、一点豪華主義で戦艦を4隻建造した。これは、大和を造るドックの設備があり、大砲・防御鋼鉄の設計技術などがあったからできたが、46C鋼板など無駄な設計もあった。
一般的に、どの軍艦でも出来るだけ大きな大砲と、出来るだけ標的にならない小さな船体を求めたので、大和のコンパクト化は、大和だけの特色ではない。大和の技術は、最先端の新技術はあまり導入されず、安定的な既成の技術を利用していた。
問題は、植民地化の危機の中で、軍備(ハード技術)を最大目標にして和魂洋才でマスターし、ソフト(科学的・合理的な運用)面を放置してきたことにある。
工業立国を急ぎ、運用面のソフトが欠けていた。だから例えば、戦艦大和の最後に観られる様な、西欧では考えられない使い方をした。
幕末明治の技術導入の際、科学と技術を分離した(和魂洋才)。軍艦などは自然科学、運用戦術は人文科学。大和をどのように使うか、何のために造るのか、の研究がない。
(戦艦の役割は、海戦で相手艦を砲撃することにあるが、大和はを旗艦(後備)に使って会戦させず、昭和19年、航空機時代になり、大和・武蔵は役に立たず、使うチャンスを失った。
技術のみでやってきた海軍が技術を放棄し、最後は特攻艦にして全く役に立てなかった。作戦目標が低く、大和の沖縄出撃を昼間にしたり、米軍を沖縄から駆逐する目的になっていない。間違った和魂洋才になった。)
しかし、戦艦大和は、何処の国も出来なかったものであり、今後も作られないから、空前絶後の世界一の戦艦である。
ただ、航空機時代に入った時代の大艦巨砲主義の問題は、時代の制約もあるが、技術導入と利用の仕方、技術と思想の統一がないこと、ハードとソフトの乖離の問題があった。
以上
(講義への感想)
技術史を全般的に観て、その中で、戦艦大和を象徴的に位置づける視点で一貫した筋立てになっている。
しかし、アジアで日本だけが特別に工業技術が急速に発展したのは、日本が優れていて、職人の技術があったから、西欧技術の摂取が急速に行なわれたとする論調は問題がある。
世界史を観ると工業技術(産業革命)は、社会体制が資本主義的な自由・平等を取り入れたときに発展するものである。そして、和魂洋才のハードとソフトの乖離の問題も、日本の社会体制・絶対主義的天皇制の問題から生じているものだ。
幕末の日本も、中国の清朝も問屋制(一部、工場制)手工業が発展し、共に職人の技術は高度に発展していた。
その中で、日本は明治維新で資本主義的な産業の自由・平等が実現し、農民や職人が工場労働者になれる条件が生まれ、官営の工場制から民営工場へと発展し、工業化への道が開かれていった。
中国の清朝では、封建社会が温存され、王朝官僚による中央集権的体制で自由・平等が抑圧され、資本主義的な自由がなく、産業(工業化)の発展が阻害されていた。
日中両国とも職人の技術は同じようにあったが、政治・社会体制の相違がその後の工業化・資本主義化の発展の相違をもたらしたのである。
たしかに日本は欧米の植民地化の危機の中で、軍需工業中心の技術摂取を急いだが、「資本主義的な自由」を絶対主義的天皇制の形成の中で抑圧し、西欧社会の基本理念である「民主主義・自由・平等」を罪悪視し、弾圧したので、技術的な自然科学しか発展できず、合理的な科学思想・ソフトを欠落させる和魂洋才になっていったのである。
絶対主義的な天皇制の下で、軍国主義を鼓吹し、アジアに対して軍事的な侵略戦争を継続した日本の軍需産業は、資金と人材を投入したから、当然、急速に発展し、早く世界水準に追いついた。
しかし、その技術の根底は、民主的で自由な合理精神を欠いており、宗教的な精神主義と国粋主義的な独善性に犯され、国民的な英知を集めることが出来なかった。
言われる様に、戦艦大和の最後は、この日本的でいびつな工業化の行き着いた姿であるが、それは絶対主義的な天皇制の下での、硬直した軍部官僚の行為の結果を示したものである。
多くの国民に計り知れない災厄をもたらした日本の軍国主義とそれを支えた軍需工業、その代表的な呉海軍工廠は、多くの技術を生み出し、蓄積した技術が戦後の民生用技術に転用された点も有るが、反面、その持つ本質から視野の狭い政治風土をはぐくみ、海軍・自衛隊に依存して生きる社会・産業構造に陥ってしまい、呉市の衰退を招いている。
このように戦艦大和の技術を世界史的な視野・資本主義の発展過程のうちから見るべきで、日本人の優秀性とか、職人が居たとか、個々の技術の優秀性を云々する狭い視野での発想は持つべきではない様に思われる。 以上
U、講演「軍事と科学技術を語る」要旨
2005年7月25日、大和ミュージアムにて
岩井忠熊 立命館大学名誉教授
岩井氏は米軍の上陸用舟艇に体当たり攻撃をおこなう「震洋」の元隊員でした。
大和ミュージアムは、旧日本海軍が日本を「大和」に代表される
世界一の科学技術立国に育て上げたとうたっています。
「科学技術が軍事と結びつかなければ発展し得ないかのように語る、
この館の考え方は間違っている」と批判しました。
岩井氏は日本の技術力について、「欧米から輸入して日本流に改良したもの。
日本の独自技術も部分的に生まれたが、大部分は欧米技術を応用している。
一部分を誇大化して『大和』や日本は世界一だと、ほめ称えるのは常識を逸している」と指摘しています。
「『大和』でなければ、日本の科学技術の発展がなかったのか」と問題提起したうえで、
「軍事に投じた巨費を、民生分野に生かせば、
もっと国民生活を向上させる技術力を生み出せたはず」と強調し、
「科学技術が軍事に依拠して発展せざるを得なかった歴史の事実を問い直すことこそ、
未来に向かって問いかける根本問題ではないか、
そうではなく旧日本海軍の役割はすばらしかった、という教訓を引き出そうとするのは、
やはりどこかおかしい」と語りました。 以上
T、総論「大和ミュージアム」をどう見るか
「戦争は、発明の父である。」とよく言われる。
生命と財産、自由や命運をかけた戦争に勝つために、最大限の努力や能力を発揮するから、
当然に、武器を中心に発明工夫が行われ、それが民生に転用され、文明は進化し発展する。
しかし、いくら文明を発展させても「人殺しの道具」を誇示する事は、「人の道」に反する「人間の恥」ではないでしょうか。
本来、このような物は無い方が良いに決まっている。やむを得ず造ったにしろ、人道に反した「恥ずかしい物」だという「人間的な反省」が必要ではないでしょうか。
このような「人殺しの道具・兵器」を造ったことを「誇り」にする感覚は、自分では自慢かもしれないが、他から見ると「人間的な理性」を失った「哀れな存在」と映るかもしれない。
ましてや、設計思想において防御を軽視し、パイロットを無駄死にさせ、中国侵略の尖兵として非人道的な無差別爆撃を行った「ゼロ戦」や
「世界三大馬鹿」(ピラミッド、万里の長城+?)と陰で酷評される「時代遅れの戦艦大和」は、ただ、膨大なお金と人命を無駄遣いした「時代錯誤」の見本ではないか。
20世紀で最も大きく科学技術を発展させ、後世に巨大な工業技術の遺産を残したのは、「原爆」である。「大和」の功績は改良という「量」的な発展だが、「原爆」は「質」的な発展を人類にもたらした。「原爆」の歴史的な有効性は「大和」の比ではない。
「大和」と同様に、改良により「量」的な発展をさせたB29爆撃機は、現代の大型旅客機の原型・遺産として大きな工業的・産業的、社会的な貢献をしているが、呉や日本の市民を無差別に焼き殺し、ヒロシマに原爆を落とす役割を果たした。
この人類史上最大の科学技術の発展をもたらした「原爆」やB29「エノラ・ゲイ」号を自慢げに展示することをしたら、「ヒロシマ」の人を始め、日本や世界の人は何と思うであろうか。
「戦艦大和」を偉大と見るか、「時代錯誤」の遺物と見るか、ご意見をお寄せください。
呉戦災を記録する会
メール宛先 : kure-sensai@nifty.com
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