呉の戦災

2.主な空襲

3・19、呉軍港海空戦

1.呉が「真珠湾攻撃」された日 (1945年3月19日)
  −−− 歴戦のアメリカ海軍第58機動部隊、呉を襲う −−−
 1941年(昭和16)12月8日、日本海軍の機動部隊によるハワイ真珠湾攻撃で、アメリカ・イギリスなど連合軍との太平洋戦争が開始されました。当時の呉に住んでいた人たちは、熱狂してこの真珠湾攻撃の成功を喜びましたが、やがて呉が「真珠湾」と化す日が来るとは、夢にも思っていなかったことでしょう。

 呉に集結していた日本海軍の戦艦、航空母艦、巡洋艦その他多数の艦船は、この攻撃によって艦隊行動が不可能な状況に追い込まれました。

 1945(昭和20)年2月〜8月、呉軍港の盛衰を示す米軍の偵察・記録写真(写真は米国立公文書館所蔵)
   呉軍港・呉海軍工廠・呉市街の概観

  2月28日呉軍港に集結した連合艦隊(横浜市・三藤久司さん提供)
  3月19日当日の艦艇配置図(呉市史)

  1945年(昭和20)3月19日午前7時20分ごろから午前11時5分までにわたって、
呉は軍港を中心として、アメリカ海軍第58機動部隊の艦載機約350機による
激しい攻撃を受けました。
  交戦する軍港内の艦艇  その艦船名・三藤久司さん提供

  灰が峰(北)上空方面から江田島(南)方面を見る

   その艦船名・三藤久司さん提供

  休山上空(東)方面から新宮(西)方面を見る

   その艦船名・三藤久司さん提供

   吉浦方面から江田島方面・艦船名・三藤久司さん提供

 この日呉を攻撃したアメリカ海軍第58機動部隊は、
マキン・タラワ攻略戦、マリアナ沖海戦、沖縄・那覇大空襲、レイテ海戦、硫黄島攻略戦などに参加し
常勝を誇ってきた部隊で、やがて開始される沖縄攻略作戦の前哨戦として、呉を襲ったのでした。
 一般市民にも多くの犠牲をもたらしたこの空襲は、呉空襲の「幕開け」となったのであり、
また中国・四国地方での初めての本格的な空襲でもあったのです。


  《在りし日の呉軍港の表情 4態)

   A. 空襲直後4月12日の呉軍港・呉海軍工廠・呉市街の概観

  <A.この日の呉軍港に写る艦艇名を表示します>

   呉軍港中央部の艦船名・三藤久司さん提供

   新宮・吉浦方面艦船名・三藤久司さん提供

    呉海軍工廠・ドック前・造兵部前・三藤久司さん提供

   B. 5月5日広11空廠爆撃日の呉軍港・呉海軍工廠・呉市街の概観

   C. 呉市街の無差別焼夷弾爆撃の翌日
       呉市街の中央部など白っぽい所は空襲で焼失した所。
   D. 8月7日原爆投下後の呉軍港・呉海軍工廠・呉市街の概観
       呉軍港はすでに昔日の面影は無く、艦隊は潰滅し艦影も少ない。




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